「四苦八苦」…LSYに出会うまで「苦」が多すぎるぜ!!!と騒ぎながら生きてきたので、苦しいという言葉が2個続いているとなんか嫌だな〜という感じ。でも、今回はこの四苦八苦を違う視点から捉えなおしてみると、全然違う世界が開けてきた。
仏教は「実践」あるのみ
行雅さんは仏教でも大切なことは日々を通した実践であると強調。仏教と聞くと分厚いお経を読まなきゃいけない、堅苦しいものと思ってたけど実際に大切なのは行動することナノネ…(どこかで聞いたことある)。
老い、病、死といった苦い現実を知り、その解決を求めて出家したお釈迦様。私たちはどうしても老いや病や死を嫌なもの、と捉えがちだけど、実は生きているということはすなわち老いや病や死に向かっていることでもある。
だからこそ認める、受け入れることも必要ではという示唆。今回は「四諦八正道」の最初の「苦諦」(=「四苦八苦」)について。
苦しいこと=教えに気付くキッカケ
行雅さんは、「四苦八苦」を構成する八つの苦しみを丁寧に解説してくれた。
- 生苦(しょうく): 生きることそのものの苦しみ。
- 老苦(ろうく): 老いる苦しみ。
- 病苦(びょうく): 病になる苦しみ。
- 死苦(しく): 死ぬ苦しみ。
- 愛別離苦(あいべつりく): 愛する者と別れる苦しみ。
- 怨憎会苦(おんぞうえく): 嫌な人と出会う苦しみ。
- 求不得苦(ぐふとくく): 求めるものが得られない苦しみ。
- 五蘊盛苦(ごうんじょうく): 心や体が思うようにならない苦しみ。
「苦」の文字がいっぱいだよう!!ヤメテー!!!
でも、行雅さん曰くこれらはネガティブなものではなく「全てが教え」。
生苦は「生きていることの奇跡」を、老苦は「人生を変える時間があること」を教えてくれる。愛別離苦は、大切な人との出会いの尊さを痛感させ、怨憎会苦は、私たちが成長する機会となる。
求不得苦は「足るを知る」こと…なるほど、苦しいこと、があるからこそそこで気付くこと、があるのだなあと。確かに、全てがうまくいっていたら当たり前のありがたさも華麗にスルーしちゃうのが我々。
そう考えると苦しい!と感じることを苦しい!とずっと叫んでいるのも少し勿体ないのかも(もちろんクルシー!!!と叫びたくなることだって人生にはあるけれど)。
苦しみをリフレーミングしてイイ感じにしちゃおう
「苦しみを避けるのではなく、そこから学ぶこと」。やっぱり目の前に苦しいことがあると、「これ、いらない!ヤダ!」と超イヤイヤ期を発動しちゃうのが人間。
ヤダヤダ!!!と騒ぎ立てて人生の被害者になるのか、「教え」として受け入れるかによって、人生の質は大きく変わる。行雅さんの言葉は、苦しみのレンズをかけた私たちの視界をふと明るくしてくれる。
仏教の智慧は、いつも内省する機会を与えてくれる。苦しみを避けようとせず、受け入れ、そこから得られる教えを実践すること。そうしていくことで私たちはより賢く、より豊かな人生を歩むことができる。これも立派なライフスキル。
苦しみを軽やかに乗り越える術を知れた利塾メンバー。これからもいろんなことにチャレンジし、爆進できる心の栄養をまた1つゲットした。