今回は「お盆と死後の世界」について、青葉寺 山口 行雅さんによる講義。
お盆はどうすべきか、という方法論ではなく、私たちが「今」をどう生きるべきかという深いお話に。
死後の世界の教えを活かす
人間は死んだら閻魔大王様、他に7回の裁判を受け、十界のどこに行くかが決められるとのこと。
間違っても地獄には行きたくないよう…!死後どの世界に行けるかは「今ここでどんな心で生きているか」で決まってくる、とのこと。
仏教では、生きとし生けるものが生まれ変わる世界を「十界」として説いている。
これは私たちの心の状態が映し出される世界。十界については前回の講義でも解説いただいたところ。
十界は、地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天界そして声聞界、縁覚界、菩薩界、仏界から構成される。
- 地獄界: 怒り、恨み、暴力に支配された世界。
- 餓鬼界: 強欲や執着に囚われ、常に飢えと渇きに苦しむ世界。
- 畜生界: 本能のままに生き、弱肉強食の世界で苦しむ。
- 修羅界: 争いや嫉妬、怒りが絶えず、安らぎのない世界。
- 人間界: 苦楽が入り混じるが、最も修行に適した世界。慈悲と忍耐を持ち、他者と協調して生きることで再生される。
- 天界: 快楽と幸福に満ちた世界。善行を積んだ結果だが、永遠ではない。
人間界が今いるところだけど、それ以外もみんな要素として持っている部分も多い…ということで、私たちが日々の行動や心のあり方によって行き着く可能性のある世界。
そして、その上には、悟りを目指す声聞界、縁覚界、菩薩界、仏界がある。
お盆の由来に秘められた教え:他者への慈悲がもたらす救い
お盆の由来とされる「盂蘭盆経(うらぼんきょう)」についてのお話を聞いてびっくり。
この話は目連尊者というお釈迦様の弟子が、亡き母が餓鬼道に堕ちているのを知ってショックを受けて最終的には母を救う話。
なんでそうなったの?とお釈迦様に聞いたら「自分の好きな人のためだけに尽くしたから。」とのこと。
え、自分の好きな人のためだけに尽くす、じゃだめなの?
お釈迦様の教えを乞うと「母を救うには他の人にもっと尽くすことだ」と助言される。結果、多くの修行僧に施しをし、母が救われたという話。
これは自分や自分の家族のためだけに生きた者は、餓鬼道に堕ちる可能性があるという教訓。一方で、「他者のために尽くすこと(利他行)」こそが、自分自身や大切な人を救う道なのだと教えている。
つまり、お盆は単にご先祖様を迎える行事ではなく、「私たちが日頃、いかに利他的な行いを実践しているか」を問う期間。深い…!
「死」から「生」を見つめ直す
お盆には色々な風習がある。行雅さんは、「お盆は、亡くなった人やご先祖様を思うことで、今の自分の命に気づき、命のご縁に感謝する時間である」と説いた。
私たちは皆、両親、祖父母、そしてそのまた祖先へと続く命のリレーの先に存在している。
その繋がりを感じることで、今生きていることの尊さ、そして限りある命をどう輝かせるかを考えるきっかけとなる。
「死」は終わりではなく、変化であり、次に繋がっていくもの。だからこそ、恐れる必要はない。
大切なのは、「今」をどう生きるか、どんな心を育むかである。自分の行いや心が、未来、ひいては来世の行き先を決めると仏教は説く。これを「自業自得」という。
現代における供養の実践:心を込めることの大切さ
現代社会では、なかなかお参りに行けない、仏壇がない場合もある。行雅さんは「形がどうであれ、心を込めることが何よりも大切だ」と語る。
亡くなった人のことを思い、手を合わせ、感謝の言葉を伝える。それが供養であり、「偲ぶ」という行為。
お盆は、私たちにとって、忙しい日常の中で立ち止まり、命の繋がりと「今」の生き方を見偲ぶつめ直す貴重な機会。
亡き人を偲び、感謝の気持ちを抱くことで、私たちは自分自身の人生をより豊かに、そして輝かしいものへと導くことができるだろう。
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