今回は、仏教の「十界」について、奈良県宇陀市で日蓮宗の住職を務めておられる青葉寺 山口 行雅さんによる講義。
この「十界」なるもの、死後の世界だけではなく、私たちの心の中、そしてこの世の現実までをも表すもの?というお話。
死後の世界だけでなく、心にも宿る十界
仏教界でいう十界とは、地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人界、天界、声聞界、縁覚界、菩薩界、仏界の十種類の死後の状態、そして心の状態を指す。
十界とは死後の世界を指すけども、これらは私たちの心の中に常に潜んでいる、とのこと。
例えば、朝からイライラして「もうやだ!」と叫びたくなる日は地獄界、ショッピングしながら「あれもこれも欲しい!」と悶絶するのは餓鬼界。
SNSで他人の投稿を見て「うわあ羨ましい!!」とメラメラするのは修羅界。…そして悟りを開いて「もう何も怖くない!」状態の仏界があるという。
そして誰の心の中にもこの十界があると同時に、「十界互具」つまり、「地獄の中にも仏の可能性があり」、変わる力は誰の中にもある、と。
仏のような人にも「あ、今日ちょっとイラッとしたな」なんて瞬間があるし、自分の中にとんでもない悪魔が潜んでいる可能性も否定できない。
「泥」の中で花を咲かせる
「外の世界の十界」という、ちょっと辛口な視点が新鮮だった。
残念ながら、この世は決してお花畑ではない。攻撃的で自己中な人、常にマウントを取りたがる人など、様々な人が生きるまさに泥臭い世界なのだと。
えーそんなこと言わないで!と思うけど。
では、この「泥沼」のような世間をどう生き抜くか。
行雅さんは仏教用語を解説し、「泥の中で咲く蓮の花」のように生きるべしと説いた。
つまり、世間のドロドロに染まらず、かといって「こんな世界嫌だ!」と逃げ出すのでもなく、その泥の中で賢く自分なりの美しい花を咲かせなさい、というのだ。
質疑応答の中で、行雅さんは自分を変えるだけでは解決しない現実があり、時には賢く他力に頼ったり、具体的な反撃に出たりする必要があるという話をされた。
もちろん、逃げるという選択肢も、立派な戦略だという。
仏教のお話だけども、とっても現実に生かしやすい学びがたくさんの回。
ここで大切なのは、内省ばかりではなく自分にも他人にも内在しているこの十界を受け入れ、賢く対処していくことーLSYで賢く生きる術を学んできた我々。しっかりそれを現実社会で使っていきたい。
行雅さんの過酷な修行体験から得た「人間は極限状態に追い込まれると、誰もが地獄の心を持つ」という学び(修行が壮絶すぎて開いた口が塞がらなかった…!)。
この講義は、人生の泥を直視し、その中でいかに賢く生きるかを考える貴重な機会となった。
私たち一人ひとりの心には全ての十界が内在し、そして外の世界もまた、様々な十界で構成されている。
この真実を理解することが、より良い人間関係を築き、より豊かな人生を送るための第一歩になるのかもしれない。