今回は春の彼岸について。彼岸とは、私たちの迷いの世界から、仏の悟りの世界のこと。私たちの世界から悟りの世界へ渡ることを彼岸、という。

今回は2つのたとえ話から始まり、お経の文章にちょっと!?となった。でもこれらもLSYと共通するところが多すぎて、いろんな話を聞いていると、開運という意味でも生き方という意味でもLSYって聖書じゃね?くらいに感じる。

自分の毒はすぐに抜け

今回は筏のたとえと毒矢のたとえ話のお話しをいただいた。

筏のたとえは、目的を達成する際に些細なことに執着することの愚かさを説いたもの。いかに成功体験や考えに捉われず柔軟に動いていくことが大切か、アイデア、経験、知識、他力は彼岸に持っていけるから執着は捨てていけ、という話。

LSYでも不幸なパターンを手放さないと人生は変わらないことを学んだ。そしてそれを手放す方法も学んできた。

人間だれしも「三毒」の奴隷

毒矢のたとえ話では、毒(怒りや妬み恨み等)が自分に刺さっていると知ること、そして刺さっていたらすぐに抜くこと、これが大切ということ。「毒あるかな~あれこれひょっとしてただの虫かな?」なんて呑気に構えていたら、矢についている毒にやられてしまう。

論理より行動。毒は人間みんな持っているから、まずはそれを抜いちゃおう、というもの。

人間誰もが持っている三毒と、その毒をどう抜いていくのかの対策まで教えてもらった。

これらの対処方法、実は全てLSYの幸せなパターンを生きるために必要なことと共通している。それぞれについて、対処法が分かっていればそれを実践するのみ。行動あるのみ!というのはLSYでも、仏様の教えでも、いろんな成功哲学でも全く一緒じゃん!とスパークした。三毒とは…ちょっと難しい漢字だけど、いずれも「人生を不幸な方向に狂わせる嫌な奴らたち。

貪(とん):必要以上に欲しがり満足しないこと

瞋(しん):怒り、憎しみ

癡(ち):不平、不満、愚かさ、無知等

お彼岸ハック

お彼岸ってお墓参り行けばいいんよね?と思いつつ、家族の頻繁なお墓参りにぼーっとついていっていた私。お墓参りって「家族と一緒にお墓近くの美味しいモーニング食べられる機会」くらいにしか思っていなかった…なんて不敬。

行雅さんから「己を知るために先祖を知る」のだ、ということや「命のバトンを感じる」等の金言の数々。確かに、自分が妊娠してお墓参りに行った時、「この先祖がつないでくれたバトンが今宿っているんだな」と思ったし、そう思うと壮大な命のつながりを感じた。実際にお墓でどんなことをしたらいいのか?そしてお供え物の意味やお掃除の方法まで詳細に教えてもらった。今後お墓参りに行く際には、ちゃんと今回学んだことを実践していきたい。

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